瓢箪から駒の話
前回のスキーの話で、私が小学校時代
相撲部に入部した話に触れている。
その相撲部での語り草である。
地区の常勝校である相手を破っての偉
業は、それこそ瓢箪から駒の例えとし
て言い伝えられていった。
その内容が、再度の出場であるが親友
T君の卒業50周年記念史に表現され
ている。
若菜小の自慢は、相撲部だ、
S,S,N、Mと、二勝二敗の星、
最後のNのウッチャリで、
優勝旗を手にした時の感激、
今にも目に浮かぶ。
スキーの虜にさせてくれたS先生の
信奉者になった私である。
勿論、相撲部の監督であるがために
水を得た魚のように様変わりし、練
習への身の入れ方に拍車がかかった。
小学校高等科に進み卒業するまで在
部し、地区大会出場者のレギュラー
メンバーに選ばれた。
この時の私は、T君の詩の最初の4
人の中のNで、相手に潜られかなり
苦しい体勢に追い込まれた。
激しいもみ合いが続いた。
苦しい展開の末に、相手のまわしを
渾身の力を振り絞り、土俵外に吊り
だす辛勝だった。
終わった途端、めまいを覚えるくら
いの激しい戦いだった。
学校当局は、当時常勝校である相手
を破る夢にも思えない偉業に、欣喜
雀躍したのは想像に難くない。
時あたかも大東亜戦争始まって2年
目の年である、校長は鼻高々になっ
ただろう。
学校に凱旋すると、体をぴしゃぴし
ゃ叩かれその偉業を称えられた。
当時としては滅多に口に出来ない
ビスケットを頂いたのを思い出す。
最後のうっちゃりのN君は、前回触
れた5年の時入部した当時、ひ弱な
私がスパルタ式練習に参っている私
励ましてくれた。
スキーに熱中したとき、カバンを家
に届けてくれる、気は優しくて力持
ちのキャプテンだった。
卒業後炭鉱の採掘マンだったが、2
0歳代で亡くなった。
2人目のS君は、夕張炭鉱に努め
バレーの代表選手として活躍した。
その後、いわき市に移り同窓会旅
行を彼の地で開催した時、大変世
話になったことを思いだす。
トップ出場のS君、4人目のM君は、
予科練を志願している。
二人とも東京勤務時代、私を訪ねて
来てくれた。
二人とも成績が良く、私の良きライ
バルで卒業まで級長を争った。
特にM君は、野武士的風貌の気風の
よい好青年だった。
M君の家は、父の会社の共同浴場の
管理を受け持つていた。
私は、彼の家をよく訪ね、お湯を沸
かす竈の裏部屋で、将来の夢を語り
あった。
最後にS先生の話に戻るが、すっか
り嵌り込んだ私は、そんな私の気持
ちを察してくれたのか、とても可愛
がってくれた。
隣町の教頭先生になって去った後も
先生を訪ねていたことは言うまでも
ない。
少飛から復員後、夢を絶たれた将来
の進路相談を受けようと思ったとき、
すでにこの世に居なかった。
この世に心の拠り所を失ったようで
悲しかった。
相撲部に入部した話に触れている。
その相撲部での語り草である。
地区の常勝校である相手を破っての偉
業は、それこそ瓢箪から駒の例えとし
て言い伝えられていった。
その内容が、再度の出場であるが親友
T君の卒業50周年記念史に表現され
ている。
若菜小の自慢は、相撲部だ、
S,S,N、Mと、二勝二敗の星、
最後のNのウッチャリで、
優勝旗を手にした時の感激、
今にも目に浮かぶ。
スキーの虜にさせてくれたS先生の
信奉者になった私である。
勿論、相撲部の監督であるがために
水を得た魚のように様変わりし、練
習への身の入れ方に拍車がかかった。
小学校高等科に進み卒業するまで在
部し、地区大会出場者のレギュラー
メンバーに選ばれた。
この時の私は、T君の詩の最初の4
人の中のNで、相手に潜られかなり
苦しい体勢に追い込まれた。
激しいもみ合いが続いた。
苦しい展開の末に、相手のまわしを
渾身の力を振り絞り、土俵外に吊り
だす辛勝だった。
終わった途端、めまいを覚えるくら
いの激しい戦いだった。
学校当局は、当時常勝校である相手
を破る夢にも思えない偉業に、欣喜
雀躍したのは想像に難くない。
時あたかも大東亜戦争始まって2年
目の年である、校長は鼻高々になっ
ただろう。
学校に凱旋すると、体をぴしゃぴし
ゃ叩かれその偉業を称えられた。
当時としては滅多に口に出来ない
ビスケットを頂いたのを思い出す。
最後のうっちゃりのN君は、前回触
れた5年の時入部した当時、ひ弱な
私がスパルタ式練習に参っている私
励ましてくれた。
スキーに熱中したとき、カバンを家
に届けてくれる、気は優しくて力持
ちのキャプテンだった。
卒業後炭鉱の採掘マンだったが、2
0歳代で亡くなった。
2人目のS君は、夕張炭鉱に努め
バレーの代表選手として活躍した。
その後、いわき市に移り同窓会旅
行を彼の地で開催した時、大変世
話になったことを思いだす。
トップ出場のS君、4人目のM君は、
予科練を志願している。
二人とも東京勤務時代、私を訪ねて
来てくれた。
二人とも成績が良く、私の良きライ
バルで卒業まで級長を争った。
特にM君は、野武士的風貌の気風の
よい好青年だった。
M君の家は、父の会社の共同浴場の
管理を受け持つていた。
私は、彼の家をよく訪ね、お湯を沸
かす竈の裏部屋で、将来の夢を語り
あった。
最後にS先生の話に戻るが、すっか
り嵌り込んだ私は、そんな私の気持
ちを察してくれたのか、とても可愛
がってくれた。
隣町の教頭先生になって去った後も
先生を訪ねていたことは言うまでも
ない。
少飛から復員後、夢を絶たれた将来
の進路相談を受けようと思ったとき、
すでにこの世に居なかった。
この世に心の拠り所を失ったようで
悲しかった。
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