20代足掛け10年勤めた職場に思いを馳せて
先ず、初出勤の日の思い出を自分史に綴って
いる。
最寄りの通勤駅山手線田町から歩いて、三田
1丁目の交差点を左折して坂道を上るところ
から始める。
参考までに、周辺地図を載せる。

だらだら坂が、ややきつくなり息切れを覚え
始めた。
視線が平らになると、東京支局の建物が目に
入ってきた。
どこから入ってよいのか迷うほど、威風堂々
の建物に圧倒される。
周囲の奥深さを感じさせる敷地に、地下1階、
地上3階の大きさで、どっしりと腰を下ろし
ていた。
一瞬、正面玄関の風情が、国会議事堂を思わ
せた。
ここが自分の職場になるのかと、緊張感で体
が強張った。
以上不安と希望の混ざり合った気持ちがあっ
たのを思い出す。
その参考写真を載せる。
主たる通勤路の一つである私が最後に登った
坂(綱の手引坂)。

第2の通勤登り坂(綱坂)、写真には無いが
坂の上り道地点の左側に慶応幼稚舎があり、
写真の左側は三井物産の広大な敷地が広がっ
ている(登り切った正面が、支局正面玄関)。

建物前の通り、右側の樹木の間から建物が見
える。

正面玄関(車寄せがある)。

正面玄関右側入口。

正面玄関左側入口。

正面玄関のシンボル的球形石像(右)。

同(左)。

古風な正面玄関の扉。

私が20代に足掛け10年在勤した東京地方
簡易保険局(現かんぽ生命保険東京サービス
センター)が、その役目を終えたとの知らせ
を受けたのは、2015(平成27)年2月
19日だった。
知らせてくれたN君は、札幌支局の後輩だっ
た。
N君を意識したのは昭和50年ころ、彼が2
0歳前後と記憶している。
その後郵便局に転出している。
私が60日間の管理者訓練で、東京国立の郵
政中央研修所に入所したさい、N君は部内若
手のホープを育てる2年間の郵政大学校生と
して入所していた。
そこで私の部屋を訪れてくれた。
それ以来、お互い転勤を繰り返す間、また私
が退職した後もお互い年賀状を欠かすことは
なかった。
若かったN君も、この知らせの前年最後の勤
務箇所になる東京支局に転勤すると挨拶状を
頂いていた。
この知らせを頂いた時は、何故という残念な
一抹の淋しさを禁じえなかった。
勤務箇所の周辺環境が閑静で、歴史的雰囲気
を匂わせて気に入っていたからに他ならない。
この時、今まで考えても見なかった東京支局
の沿革を調べていた。
註
かんぽ生命保険東京サービスセンター(旧逓
信省簡易保険局)
1929(昭和4)年大林組によって建てら
れた。
いかにも官庁建築という左右対称の重厚なビ
ル。
昭和初期の逓信建築の、すなわち逓信営繕課
の技術官僚らによって設計された一連の建築
物の一つです。
石貼風の外壁、車両寄せのある玄関上部にあ
る3連の縦長の窓が特徴です。
起工 1927(昭和2)年5月27日
竣工 1929(昭和4)年3月31日
敷地面積 26.860㎡
註 東京ドーム46.755㎡の58%の広
さ
建築面積 11.790㎡
延床面積 34.590㎡
地上3F (一部4F)
地下1F
私が在勤していた当時は、正面玄関左側に貯
金支局、右側に保険支局が入っていた。
私が昭和35年に札幌支局に転勤した後、貯
金支局は何時移転したか詳細は分からないが、
最初は蔵前、その後はさいたま市に移転して
いる。
さて東京支局は、移転先は何処か調べてみた。
品川区大崎のプライトタワーに移転している。
従って移転した後の跡地が問題であるが、当初
歴史的建造物の保存の声も囁かれたが、結果的
に譲渡されることとなった。
その内容は次の通りである。
2015年移転。
2018年2月2日 三井不動産、三菱地所に
譲渡決定。1100戸マ
ンション建築予定。
2019年10月9日 解体工事開始。
2021(令和3)年7月1日 新築工事開始。
2025(令和7)年5月31日 新築工事完
了予定。
閑静な歴史的雰囲気がまだ残っているような、
台地の風情ある環境が、喧騒な環境に染まって
いくのが残念な気持ちに陥っている。
最後に一般の人が、解体前の東京支局を見て
感想を述べているので紹介したい。
「一体なんの建物だろう?」と不思議に思い
ました。
通常のビルとは明らかに異なる造りで、その
姿には威厳すら漂っていました。
(一見で歴史的建造物だと分かる造りなので、
)これは何かの「記念館」か「博物館」だろ
うと思い周りを見渡して見ましたが、いくら
探しても何の案内表示もありません。
後日調査を行い、この建物が「かんぽ生命保
険サービスセンター」であること知りました。
最初に気が付いた時まさかと思いました。
オフイスビルとして利用しているとは、夢に
も思いませんでした。
いる。
最寄りの通勤駅山手線田町から歩いて、三田
1丁目の交差点を左折して坂道を上るところ
から始める。
参考までに、周辺地図を載せる。
だらだら坂が、ややきつくなり息切れを覚え
始めた。
視線が平らになると、東京支局の建物が目に
入ってきた。
どこから入ってよいのか迷うほど、威風堂々
の建物に圧倒される。
周囲の奥深さを感じさせる敷地に、地下1階、
地上3階の大きさで、どっしりと腰を下ろし
ていた。
一瞬、正面玄関の風情が、国会議事堂を思わ
せた。
ここが自分の職場になるのかと、緊張感で体
が強張った。
以上不安と希望の混ざり合った気持ちがあっ
たのを思い出す。
その参考写真を載せる。
主たる通勤路の一つである私が最後に登った
坂(綱の手引坂)。
第2の通勤登り坂(綱坂)、写真には無いが
坂の上り道地点の左側に慶応幼稚舎があり、
写真の左側は三井物産の広大な敷地が広がっ
ている(登り切った正面が、支局正面玄関)。
建物前の通り、右側の樹木の間から建物が見
える。
正面玄関(車寄せがある)。
正面玄関右側入口。
正面玄関左側入口。
正面玄関のシンボル的球形石像(右)。
同(左)。
古風な正面玄関の扉。
私が20代に足掛け10年在勤した東京地方
簡易保険局(現かんぽ生命保険東京サービス
センター)が、その役目を終えたとの知らせ
を受けたのは、2015(平成27)年2月
19日だった。
知らせてくれたN君は、札幌支局の後輩だっ
た。
N君を意識したのは昭和50年ころ、彼が2
0歳前後と記憶している。
その後郵便局に転出している。
私が60日間の管理者訓練で、東京国立の郵
政中央研修所に入所したさい、N君は部内若
手のホープを育てる2年間の郵政大学校生と
して入所していた。
そこで私の部屋を訪れてくれた。
それ以来、お互い転勤を繰り返す間、また私
が退職した後もお互い年賀状を欠かすことは
なかった。
若かったN君も、この知らせの前年最後の勤
務箇所になる東京支局に転勤すると挨拶状を
頂いていた。
この知らせを頂いた時は、何故という残念な
一抹の淋しさを禁じえなかった。
勤務箇所の周辺環境が閑静で、歴史的雰囲気
を匂わせて気に入っていたからに他ならない。
この時、今まで考えても見なかった東京支局
の沿革を調べていた。
註
かんぽ生命保険東京サービスセンター(旧逓
信省簡易保険局)
1929(昭和4)年大林組によって建てら
れた。
いかにも官庁建築という左右対称の重厚なビ
ル。
昭和初期の逓信建築の、すなわち逓信営繕課
の技術官僚らによって設計された一連の建築
物の一つです。
石貼風の外壁、車両寄せのある玄関上部にあ
る3連の縦長の窓が特徴です。
起工 1927(昭和2)年5月27日
竣工 1929(昭和4)年3月31日
敷地面積 26.860㎡
註 東京ドーム46.755㎡の58%の広
さ
建築面積 11.790㎡
延床面積 34.590㎡
地上3F (一部4F)
地下1F
私が在勤していた当時は、正面玄関左側に貯
金支局、右側に保険支局が入っていた。
私が昭和35年に札幌支局に転勤した後、貯
金支局は何時移転したか詳細は分からないが、
最初は蔵前、その後はさいたま市に移転して
いる。
さて東京支局は、移転先は何処か調べてみた。
品川区大崎のプライトタワーに移転している。
従って移転した後の跡地が問題であるが、当初
歴史的建造物の保存の声も囁かれたが、結果的
に譲渡されることとなった。
その内容は次の通りである。
2015年移転。
2018年2月2日 三井不動産、三菱地所に
譲渡決定。1100戸マ
ンション建築予定。
2019年10月9日 解体工事開始。
2021(令和3)年7月1日 新築工事開始。
2025(令和7)年5月31日 新築工事完
了予定。
閑静な歴史的雰囲気がまだ残っているような、
台地の風情ある環境が、喧騒な環境に染まって
いくのが残念な気持ちに陥っている。
最後に一般の人が、解体前の東京支局を見て
感想を述べているので紹介したい。
「一体なんの建物だろう?」と不思議に思い
ました。
通常のビルとは明らかに異なる造りで、その
姿には威厳すら漂っていました。
(一見で歴史的建造物だと分かる造りなので、
)これは何かの「記念館」か「博物館」だろ
うと思い周りを見渡して見ましたが、いくら
探しても何の案内表示もありません。
後日調査を行い、この建物が「かんぽ生命保
険サービスセンター」であること知りました。
最初に気が付いた時まさかと思いました。
オフイスビルとして利用しているとは、夢に
も思いませんでした。
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